第一巻〜第三十巻
| 第二十八巻 「花押」 平成12年4月21日(金) 今晩、仕事仲間と飲んで、最終電車に間に合わず、タクシーで今、たどり着いた所です。 お酒の席で、仕事柄、電子認証を日本流にやりたいねという話が盛り上がり、印鑑やサインの話題が続いた。 花押というのはご存知でしょうが、古来の日本のサインそのものであり、欧米のサイン文化は、日本の伝統的なものだ。。。という。 秀吉や家康、信長などの花押は有名ですが、現代の政治家も花押をよく使う。私の書の先生が最近、花押印を大々的に売り出されましたが、2年前に雅印と姓名印を彫っていただいたときに、花押印をプレゼントされたが、これが結構おしゃれなので、手紙や年賀状に使わせて頂いています。 英国では、自分のサインのデザインをわざわざ、一流のデザイナーに依頼する習慣があるそうだが、どうだろう。ひとつ、花押のデザインと花押印を作ってみては! ご注文は、望月先生のホームページでどうぞ。 |
| 第十九巻 「課題を選ぶ」 平成12年4月5日(水) 今日は、大東書道の4月号の課題の締め切り日。 「冰壷無影像」という半紙課題を、2日前までに、一応仕上げましたが、今朝になって、3枚の候補の中から、どうしても絞りきれませんでしたので、家内の意見を聞きました。3枚のうち、もっとも流れのある草書の一枚を彼女は選びました。やはりという感もありましたが、書き込みが足りなかったので、行書のを選びました。自分ではあまり、この手の書風を書いたことが無く、自己評価もできなかったので、大東ではどのような評価なのかという思いで決めました。 いつも、5〜60枚ほど書くと、一応なんとか格好がついてきますので、候補となりそうななものに、雅印を押してまず、保管します。これ以上上手くかけないかもしれないという気持ちも働いております。ここで、一休みして、別の課題に移ったり、臨書に移ったりして、しばらく時間をおいてから、改めて、じっくりと眺めます。全体のバランスはいいか、線が弱し所はないか、行間はどうか、天地の空きはどうか、、など、辛い目で見直します。すると、必ず、1,2点うまく行っていない部分を発見しますので、あたらめて、今度は悪い点を年頭において、書き込みます。書風を変えずに、字の大きさや、変形のさせ方などのバリエーションをいくつか変えてみて、数十枚書くと、いつかピタリと決まるものに出くわします。これが、新たな候補作として、雅印をしっかりと押して、確保します。 時間があるときは、書体や書風をいろいろ変えて見ます。この時は、比較的自由に、スピードの変化を極端にしてみたり、字の大小を大げさにしてみたり、誤字にならない限界まで、デフォルメしてみたりと、楽しんでいます。プレッシャーが少なくなっているので、この時は、手首から、力を抜いて、身体全体で書ける余裕を感じることもあります。また、筆が勝手に動くイメージをもって、筆を遊ばせても見ます。 今月の大東の課題は、上記の繰り返しが出来たので、結局、選ぶのに困った3枚の候補が残ったというわけです。 |
| 第十四巻 「春夏秋冬」 平成12年3月31日(金) 今日お邪魔した、横浜のある会社の打ち合わせコーナーに、私が贈った「春夏秋冬」の扇が、壁に飾られてあった。 昨年、よく扇に揮毛していろいろな人にもらって頂いたが、こうして、大切に飾って下さると、大変ありがたく思うとともに、書きぶりが未熟なんで冷や汗をかくことも多いです。 |
| 第六巻 「公募展」 平成12年3月23日(木) 私が購読している「臨池」という競書誌が主催している全日国際書道展という、公募展に昨年応募しましたら、なんと横浜市教育委員会賞という大賞をもらってしまいました。 応募作品は、連展のために長く練習してきた漢詩を出しましたが、半年以上、200枚以上書き込んだものだったので、新人賞をもらいたいなという気持ちはありましたから、こんな大賞は、望外の喜びといえましょう。 こうした公募展は初めての経験でもありましたから、自分の実力を試すのには、非常に良い機会でもありました。締め切り間際の前日ぎりぎりまで、どれを出そうかと迷いつづけました。どれをとっても大差はないようなものの、完璧なものはなく、いくつかの作品がそれぞれにいい所と悪い所が混在していますので、結局最後はエイヤと決めざるを得ないことにはなりますが。。。 このような公募展などは目標をもつ良いチャンスでもありますので、皆さんもチャレンジしてみて下さいね。 |
| 第五巻 「展覧会」 平成12年3月22日(水) 昨年7月末、「連展」という三人展を開催しました。 1週間の会期中、150人もの人の訪問を受け、大成功に終わりました。 仕事で知り合った仲間が趣味を肴に杯を酌み交わすうちに、だんだん気持ちが高揚してきて、どうしたことか1年半後を目標にして三人展を開くことがとんとん拍子にきまってしまいました。 私は、以前から書を本格的に勉強したいと思っていましたから、これはいい目標ができるぞという気持ちで参加表明したわけです。のんべんだらりんと書を楽しむという生き方もあるかもしれませんが、どうもそれでは手ごたえがなさそうだったので、展覧会という確固な目標を設定して自分を叱咤激励する方が充実するだろうと考えました。 私だけではなく、他の二人も同じ心境だったようですが、どうせアマチュアなんだから軽い気持ちでその時を迎えようと最初は考えておりました。自分のその時点での実力と準備のために使える限られた時間内で、出来うる作品の質の高さは、あくまで自己満足の域に終わるだろうと思っておりました。 そこで、有効に時間を使って効率よく実力を向上させる方法は無いものかと思いつつも、どこかの書道教室に入って勉強するという気にはなれないまま、競書誌の存在に出会いました。購読を開始して課題をこなしていくと、短期間で身に付けなければならない内容があまりにも多いことに気づき始めました。中学3年の正月に、富山市内の中学校の書初め大会で特賞をもらったのが最後で、筆を持つのは年賀状を書く程度でしたから、全くの自己流で過ごしてきたために変な癖がついてもいました。 ちょうど、その時に望月鶴先生に出会えなかったら、相当ひどい連展になっていたことだろうと想像されます。 頻繁に添削をしてもらいはじめてからしばらくして、連展のことを切り出しまして、「先生、今の実力で、展覧会に間に合いますか?」といいますと、「なんとかしましょう、大丈夫ですよ」と言ってくださり、これは非常に心強い見方が出来たと、正直いって、幸せだなあと思ったものです。 知人たちには、連展を開くことを早々と宣伝しておりましたので、「有段者でもないのに、展覧会なんておこがましい!」と、露骨に言われたりもしたので、こちらは、絶対、連展までには、有段者を目指すんだと心に誓ったのであります。考えてみれば、無謀なことでしたが、2ヶ月前には、何とか、準初段までにこぎつけました。 その間、毎月課題をこなさなくてはならないし、作品を作らなければならないし、その合間を縫って会場の下見やDMの準備など初めてのことなので、効率が悪く、毎日睡眠不足となる生活リズムとなりました。趣味で書道を長く続けるためには、土日にまとめて書くのではなく、一日に30分でもいいから毎日毎日、続けることが大切だと、書の教則本には書いてあるのですが、毎日はもちろん、30分では間に合わず、2、3時間は費やしました。 先生には迷惑をおかけしましたが、さほど書き込みもしないうちに送り、同じ個所を何度も直してもらって、少し良くなるとまた、すぐ送るということを何回繰り返したことか。 「何とかしましょう」という、先生の一言を頼りに、授業料も一切払わないままに、強引に手伝ってもらいましたが、先生からは、いつも「同じ書を志す仲間として」、と励まされつづけて、何とか会期に間に合ったという次第でした。 自分ひとりで出来ることは限られますが、いい仲間や尊敬する師がいると、途中経過はつらいこともあったが、ひとつの目標を成し遂げたときの感激はひとしおでした。 少し高いと思われるハードルを設定して、頑張ってみられたらいかがですか。 |
| 第二巻 「望月先生との出会い」 平成12年3月19日(日) 私の先生、望月さんとの出会いは、インターネットでした。 書をはじめて半年ほどして、会社の先輩につけてもらった雅号「神左」の雅印を作ってくれる人をインターネットで探していましたら、栄昌堂ワールドというサイトを見つけましたら、なんと親切にもデザインを無料でしてもらえるというではないですか。すぐにメールで申し込んだら、書体や印鑑の大きさなどいろいろとアドバイスを頂いた。これが最初の出会いでした。 雅印ができてきたとき、先生から、私の書が見たいとお申し出があったので、いくつかお送りして見てもらいました。 そのとき、なんと無謀なことか、1年後に個展を開く予定であることをお知らせし、「今から間に合うでしょうか?」なんて質問をしたところ、「私が何とか間に合わせましょう」と言ってくださり、それから、なんと無料の通信添削が始まりました。 すでに競書誌を3誌定期購読していたので、毎月、課題の締め切り1週間前くらいになると、先生宅に送って見てもらいました。先生は大変忙しいのに、特急で添削して下さり、また同時に臨書の仕方や作品の作り方など、さまざまな知識をご披露してもらうという文通が始まったのです。 メール交換も同時に続き、手紙に入れ忘れた補足のコメントはメールで補完してくださるという、両面作戦で篤い支援が始まりました。 |
|
第一巻 「独学書道塾の目的」 平成12年3月18日(土) |